（2012・03）
　句集「神楽面」より。
　クラシック演奏会などでの指揮者の動作がどのような意味を持つのか、残念ながら全く不案内である。しかし、テレビに映し出される指揮者の動きを見るに、大概、演奏の始めに当たっては両手を広げて掲げ、その直後の手の動きに合わせて演奏がスタートしている。
　ところで、三月という月は一年の中でも「劇的」な月と言えるだろう。学生たちにとっては卒業のシーズンであり、勤め人にとっては人事異動の月であり、また、会計年度末であって、多くの会社の決算月でもある。親しんだ人との別れがある一方で、新たな人との出会いや、来たるべき本格的な春の訪れに、密かに胸膨らませる月でもある。
　掲句。作者は、指揮者が演奏をスタートさせるための動作に、三月を強く感じたのだ。これから始まる演奏への期待と、新しい季節（世界）を迎えるという気分の高揚とが相俟って、そう思わせたのだろう。
　三月。このさき決して忘れてはいけない出来事があった月でもある。そのことに物言う資格はないが、掲句の演奏会もそうだったであろう、見事なハーモニーで物事が動いていってほしいと、願うものである。

（2012・02）
　句集「神楽面」より。
　毎日の眠りに就く場合は別として、ついうとうとと心地よく寝入ってしまうのは、大抵の場合、そこにほんの少しの平和と幸せがあるからだ。
　掲句。春も間近、と感じさせる日の光が、田舎町の床屋のフロアーに射し込んでいる。作者は、馴染みの主に頭を刈ってもらいながら、その鋏の音の調子の良さに、思わず寝入ってしまったようだ。目を覚ますと、頭の方は大方仕上がっていたから、三十分は居眠りしただろうか。主は、まだ雪の残る小川の辺に蕗の薹が出始めた話を、再び続けるのだった。
　ところで、その床屋の話。昨今は千円カットの店などが幅を利かせていて、職人としての技術を売りものにした、したがって時間も料金もそれなりに掛かるが、一方では貴重な憩いの場でもあった掲句のような床屋は、軒並み閉店の憂き目に遭っている。効率性や経済性が優先される今の時代と昔とでは価値観が違う、と言ってしまえばそれまでだが、少なくても一昔前の、大概の床屋の空間には存在していた「平和と幸せ」が失われてしまったのを少し残念に思うのは、筆者自身が床屋職人の両親のもとに生まれ育ったから、なのかもしれない。

（2012・01）
　句集「神楽面」より。
　東京やその近郊では、まれに雪が舞ったとしても積もることはほとんどない。したがって雪掻きをするまでもないのだが、これが数センチでも積もったとなったら大変だ。北国で育った者にとっては何ということのない積雪なのだが、都会の人はそうはいかないらしい。団地に住んでいたりすると、当番からすぐ雪掻きの招集が掛かってしまう。
　掲句。こちらは雪国の年末である。それまで何度か降られて、玄関の出入りに支障のない程度には掻いている。しかし、本格的に掻くとなるとタイミングが難しいのだ。掻いたとたんにまた降られると、結果的に無駄な労力を使ったことになる。それでもこの日は意を決して立ち上がった。大晦日まであと僅か。家のことを早く済ませて静かな年末年始を迎える意味でも、今日動くのがベストなのだ。
　今年もいろいろなことがあった。世の中のこと、勤め先のこと、そして、我が家のこと。来年はもう少しだけ良いことがあるようにと、一人もくもくと雪を掻きながら、心の中で思わず呟くのだった。

（2011・12）
　句集「神楽面」より。
　一歩俳句には、常に少年の心が見え隠れする。それは、昨年の十月号で紹介したある評者の、「……そこには発見があり、不思議がり、面白がっている……子供の純真さにも似た心だ。」との一歩評の受け売りになってしまうかもしれないが、やはりその感を禁じ得ない。
　夜が白々と明け始めると、この時期はもう出勤の時間だ。昨夜からの冷え込みで、今朝は一面に霜が降りている。駅に向かってしばらく歩き始めたが、ふと後ろを振り返ると、自分の足あとが地面に点々と記されている。そういえば子供の時分は、一面の霜や雪に心を躍らせ、登校の道すがら、あちらこちらに自分の足あとを付けては、友達とはしゃいだものだった。そんなことを思い出して、思わずニヤリとしてしまった。今日の自分も、あの時と同じように、少し心が騒いでいる。いくつになっても男というものは変わらないものなのだろう。
　再び駅に向かって歩き始めたが、心なしか足取りも軽やかになっているのだった。

（２０１１・１１）
　句集「神楽面」より。
　例によって自らの思い出話で恐縮だが、むかし中学に上がる頃まで住んでいた家の隣が豆腐屋で、ほかに納豆などの食料品や菓子類も売っていたのだが、一方で、林檎を作る農家でもあった。それはやや矮化された品種だったのか、小学生が届く高さにも実が生って、手伝いと称して邪魔しては、〓いだ林檎を袖口で拭いて食べたものである。世間的には林檎といえば青森や長野ということになるだろうが、岩手の林檎も捨てたものではなく、私の田舎はともかく、主宰の郷里にほど近い旧江刺市などの林檎の品質は、日本でも一、二を争うといわれている。
　ところで、掲句の「北国」はその岩手であろう。食べ頃で届いた林檎だが、その赤みは冷たさを帯びていたというのである。北海道などとはまた質が違うだろうが、岩手の冬も厳しい。その厳しさに向かおうとしている故郷の「匂い」や「風土」を纏って届いた林檎を手に取ってみると、その色合いは決して明るさや希望を感じさせる「赤」とは言い難く、何かにじっと耐えてでもいるような、そんな色に思えてしまい、少しだけ悲しい気持ちになるのだった。

(2011・10)
　句集「神楽面」より。
　仏教の修行の中には、何日間も不眠不臥で、そればかりか口から物も入れずにひたすらお経を唱え続けるという、まさに想像を絶するような苦行があるというが、もちろん常人の及ぶところではない。悲しいかな凡人は、時が来れば腹も減ってくるし、眠たくもなる。
　さて掲句。作者は秋の一日にひとり物思いに耽っていたのだが、どうやら眠気に襲われたのだろう。あるいは、ひととき深い眠りに陥ったのかもしれない。「秋思」というのだから、多分に感傷的になっていたり眉間に皺を寄せて自らの行く末に思いを廻らしたりしていたのかもしれないが、残念ながら一日二十四時間、言ってみれば緊張もあるが弛緩もある。当然のことながら冒頭の修行僧のような訳にはいかない。それにしても、深刻そうにしていたと思ったら、眠くてたまらなくなったとは、とても人間的でよろしいではないか。
　「居眠り」と「秋思」という、一見、一句に同居することに違和感を覚えるような素材をさらりと調理して、一歩俳句のイメージを少しばかりはみ出してみせた、愛すべき俳句になった。

（２０１１・０９）
　句集「神楽面」より。
　子供がまだ小さかった頃に、思い切ってワンボックスカーを買った。休みの日に、家族揃って遠出でもしようと思ったのである。どこに泊まるという当てもなく走って、途中、高速道路のパーキングに、「野宿」したこともあった。その折である。どこから入り込んだのか、座席のシートを倒してみんな寝入っている車内に、微かな鉦叩の音が聞こえてきたのである。それは、何とも言えぬ郷愁を伴って、耳に届いてきたのであった。
　ところで、掲句の鉦叩は、一体どこで鳴いているのだろうか。いや、鉦叩には「鳴く」という表現はそぐわないかもしれない。心の中にしみじみと響いてくるその音色は、耳にする者の過去を静かにノックするかのようだ。掲句でのそれは、作者の抽斗の奥に仕舞われていた、あるいは思い出すまいとしていた遠く切ない記憶に、微かに触れてしまったのかもしれない。カ行の連続する調べが、秋の深まりを覚える心に、一層沁みてくる。

(2011・08)

 句集「神楽面」より。
　人間はどこからやって来たのか知らないが、満天の星を仰ぎ見るとき、言葉を失うような美しさにしばし呆然とするとともに、自分たちはこの夜空のずっとずっと遠いところから、気の遠くなるような歳月をかけてやって来たのかもしれないなどと、勝手に思いを馳せてみたりする。もちろん、決して押し売りをするわけではないけれど、大なり小なり、同じような思いに囚われた経験がありはしないだろうか。
　ところで、掲句。初秋の夜空に天の川が横たわっている。その天の川を眺めるためのスポットにでも集まったのか、それとも家族で裏庭に出ているのだろうか。老若男女がともに夜空を仰ぎ見ている。その横顔が、そして、表情から見て取れる心持ちが、みんな若々しいというのだ。
　　老いも若きも、織姫と彦星がこの河を渡って出会うという伝説にロマンを感じつつ、本当に自分たちがこの空の向こうからやって来たかどうかは別として、摩訶不思議としか言いようのない空間を、一様に少年のような好奇心を持って、眺めているのだ。

　句集「神楽面」より。
　　作句の手法として、物事の対比によって一句が成り立っているものが見受けられる。それは、赤と白であったり、大と小であったり、陰と陽であったりする。もちろん、数ある俳句の中には、掲句のような「好き」と「嫌い」というコントラストも、あるに違いない。しかし、どうだろうか。嫌いなものが勉強であることは、世間一般、当然に射程圏内であるとしても、好きなものがよりによって雷とは驚くではないか。少なくても筆者の身の回りで、雷が好きでたまらない、などという人間に出会ったことはない。
　それはともかく、俳句は時として掲句のように意表を衝くことが必要だ。勉強が好きで雷が嫌い、では面白くも何ともない。しかし、俳句を離れて考えてみると、掲句のような人物はやはり貴重だ。世の中を動かしていくのは、実はこんな個性を持った人間なのだろう。果たして、掲句に詠まれた人物は主宰自身であるかどうか。大いに興味のあるところではある。

　句集「神楽面」より。
　主宰は「山の人」である。高山植物の宝庫として知られる岩手の名山「早池峰山」の麓に生を受け、ユネスコの無形文化遺産にも登録された大償神楽を伝承する家系で育まれたのだから言わずもがなだ。ゆえに、一歩俳句の多くはその環境を源とする。もちろん、主宰のみならず俳句作家の抽斗の中身は、その出自を抜きにしては形成されないのだろうが、とりわけ一歩俳句には、その生まれ育った風土を色濃く感じないわけに　はいかない。
　その主宰が「海」の句である。だが、前述のことを踏まえても、既刊句集千二百超の作品の中で、海を題材にしたものがやっと二桁を数える程度というのも、少々意外だ。掲句は、その海（港）にあって、干される蛸の無念さとでもいうべきものを詠んでいるが、「怒りの脚広げ」との強い表現も、一歩俳句としては異色のものといえるのではないか。
　ところで、今回の大震災。陸中海岸に程近い地に生まれ育った身としても、掲句に詠まれたような東北の港町が、悉く津波によって破壊されてしまったのは何とも悲しい。一体誰が何をしたというのだろうか。

　句集『神楽面』より。
　主宰の第四句集となる『神楽面』が刊行されたので読んでいきたい。
　一歩俳句には、「椅子」の登場してくる句が（その数は多くはないものの）、特徴的なものとして見受けられる。「ちやうどいいところに椅子や鶯鳴く」「三椏の花の翳りの下に椅子」など、既刊の句集に収められている限りの椅子は、すべて戸外に存在し、かつ、誰も座ってはいない様子のものである。
　掲句、「約束どおり」それは戸外に存在し、誰も座ってはいない。そして、その横では牡丹が咲いているという。例によって、句においては以上の材料の呈示のみで、説明にわたるものは何もない。
　さて、公園か植物園であろうか。作者は、なぜか園内にぽつんと置かれている椅子に目を止めたのだが、実は、ほとんどのベンチは塞がっていて、体を休めずにいたのだ。しかも、いい案配に椅子の脇には、紅色の牡丹が今を盛りに咲き誇っているではないか。作者は、思わずその椅子に向かって歩を進めるのだった。

　句集「一楽」より。
　一歩俳句では、直接詠い込んでいるか否かに関わらず、折々、穏やかに渡っていく風を感じ取ることができる。掲句も、そして句集の同じ頁に並ぶ「蘖や雨の匂ひのそこここに」にも、そんなことを思うのだが、両句などは、いずれも心地よく春を詠ったものだから、一層その感を強くするのかもしれない。
　ところで掲句。その春のさなかに、幼子が風船の紐の先を手に持って、高く掲げている様子を詠んでいる。よちよち歩きの幼子と風船のバランスを考えると、いかにも子供が風船から吊り下げられているかのように、危なっかしく、頼りなく見えるのである。
　句中では当然に詠まれていないが、幼子を見守る若い両親の、優しく愛おしげな眼差しが、そこにはある。そして、風船を手に持った幼子が、あたかも春の風に乗ってそのまま青空に吸われていってしまうかのような、そんな錯覚すら覚える、ほのぼのとしたひとときがある。それは、目の当たりにする作者にとっても、貴重な時間だったに違いない。

　句集「耳ふたつ」より。
　一歩俳句には、教師や学校を題材としたものも多い。そしてそのどれもが、主宰が生まれ育った岩手の豊かな自然や大らかな人間関係を背景にしているが、今やその全てが失われたといっても過言ではない。教師への畏怖・畏敬の念や、学校に対する無条件の信頼感といったものも、その根底にあることが感じ取れる。それはそれとして、読み手は、自らが通った教室の中に一瞬引きずり込まれるかのような懐かしさを、一歩俳句によって暫し味わうことができるのだ。
　掲句。先生の拳、すなわち「げんこつ」が、殊のほか大きいと驚いているのだが、何事もなければそのことに気付くこともない。「廊下は静かに歩きましょう」などという、週番が掲げた目標を無視して走り回っていたのか、さもなければミミズでも女の子に投げつけるかして、担任に言いつけられたに違いない。そして、本人はといえば、その担任の先生にげんこつを食らう結果になることは百も承知の行動で、実は、いつも自分のことをしっかりと叱ってくれる先生のことが、大好きなのだ。

　句集「一楽」より。
　遠く幼い日の記憶。それまで、雪解けの時期などには泥んこになってしまい、しかし、それはそれで子供たちにとっては道草の楽しみでもあった土の街道が、ある日、きれいにアスファルト舗装され、併せて小さな商店街には街灯が設置されることになった。街灯は、早々と店仕舞いして消えてしまう街の明かりを、補うに十分だった。ただ、夏ともなると、どこからともなくおびただしい蛾が集ってきて、翌朝にはその真下に同じ数の亡骸を曝すことになり、大人たちを大いに悩ませた。だが、雪がしんしんと降り続く冬は違った。通りの所どころで街灯は、その下に降り込む雪を鮮やかな橙色に染めて、まるで子供たちを外国の童話の世界にいざなうかのような幻想的な情景を、暗く静まり返った街に作り出してくれるのだった。
　掲句は、そんな数十年も前の記憶を呼び覚ましてくれたが、一歩俳句には、他にも「美しき雪を踏まねばならぬかな」などの句があり、みちのくの詩的な雪の世界を、正に詩人一歩として示してくれるのだ。

　句集「一楽」より。
　昨年の「谺」七月号の編集後記に、主宰が三十八年間勤めた職場を離れたことが記されている。少し余裕を残しての挂冠であったが、それを機に新居に移られるなど、主宰にとっては人生の大いなる節目の年として、特に後半は変化に富んだ日々を送られたことと思う。
　ところで掲句。仕事始の朝に、これ以上ないほどの澄み切った青空が広がっている。また仕事の一年が始まるという、心の隅にある憂鬱な気分を吹き飛ばし、元気を与えてくれる晴れ晴れとした空だ。久し振りにネクタイを締めると、不思議と身も心もシャキッとしてくる。思わず空を見上げて大きく息を吸い込み、新年の一歩を踏み出すのだった。
　何事につけても最初が肝心というが、とりわけ新年の青空は、勤め人ならずとも、これから始まる新たな一年の充実を予感させる。新しい環境で新年を迎えた主宰の心持はいかがだろうか。
　さて、「谺」の新年は、間違いなく青空の下でスタートした。

　句集「一楽」より。
　セーターに限らず上半身に身に着ける衣服は、ほとんどの場合胸の部分を上にして畳まれる。したがって大方は、普段そのことを不思議に感じることすらない。しかし、俳句作家は、そのように当たり前のこととして見過ごされる日常の情景や現象などを、詠むための素材として捉える、ある種嗅覚とでも言える特殊な能力を有しているようだ。
　お気に入りのセーターがテーブルの上に置かれてある。ふかふかとした毛糸のものは、本格的な冬を迎えたこの時期の外出には一番だ。さて、とそのセーターを手に取ろうとしたとき、作者は、衣服がいつも胸を上にして畳まれるという、何気ない習慣に思いが至ったのだった。
　掲句は、おそらく一歩俳句を代表するような一句として挙げられることはないのかもしれない。しかし、何の変哲もないような日常を、何の気負いもなしに示し、そして気付かせてくれるという意味においては、極めて一歩俳句らしいものとして、挙げておきたい一句だ。

　句集「一楽」より。
　一歩俳句には「雨」が多い、かどうかは他の作家との比較において必ずしも定かではないが、掲句を収める「一楽」四百句中には、直接的に雨を詠ったとは言い難い梅雨に関連する句を除けば、十七句を数える。句集「一葉」「耳ふたつ」もほぼ同じような割合で収められているから、雨の句は、一歩俳句のひとつの特徴を成すものと言えるかもしれない。
　ところで秋は、人の心を豊かにする一方で、妙に人恋しくなったり、来し方行く末に思いが及んで何とも複雑な心持ちに陥ったり、少しのことでも心が微妙に反応する不思議な季節のようだ。
　その秋も一段と深まったある日の夕暮れ。ふと部屋の外に気配を感じて耳をそばだてると、微かに屋根を打つ雨音が聞こえる。「ああ雨だ」、そう思った途端、なぜだか漠とした寂寥感が体を走ったのである。
　感性豊かな一歩俳句には、やはり雨がよく似合う。

　句集「耳ふたつ」より。
　ご承知のように掲句は、主宰が角川俳句賞を受賞した際の五十句の中の一句であるが、今回は、この句（ともう一句）が意外な本に掲載されていることを紹介してみたい。
　「続おじさんは文学通３（俳句編）」（明治書院）という新書本がそれである。本書では、正岡子規、高浜虚子を始めとした現代俳句を代表する作家の句が計八十八句紹介されているが、受賞直後の編と思われるものの、主宰の句も二句（掲句と「露こぼれ……」）取り上げられている。評者は不明だが、角川俳句賞の紹介をした上で、受賞作品「指」は、「《未来に向けて開けるような明るさを持った作風が好ましい》《この賞は新鮮さと新しさが要求される》等々の選考委員の視点から選ばれた。」とし、掲載二句とも、「何気ないことのようでいて、そこには発見があり、不思議がり、面白がっている、作者の心の柔軟さを感じる。興味しんしんの、子供の純真さにも似た心だ。」と評している。
　一歩俳句の本質を言い当てた、この評者以上の言葉は見つからない。

　句集「耳ふたつ」より。
　先だっての谺七月号「やまびこ雑記」に、「５Ｗ１Ｈ」のことが書かれている。「報告的な俳句、説明的な俳句が数多く寄せられている」という現状への、主宰からの「イエローカード」である。耳の痛い話ではあるが、とかく陥りがちで、読み手のイメージの拡がりを妨げることになる。
　掲句。当然のことながら「いつ」「どこで」「だれが」は、一切詠まれていない。そこで、いきおい読み手が、直接は詠まれていない登場人物や周囲の情況などについて、自由にイメージを膨らませることになる。
　夏も盛りが過ぎた、ある夜の裏庭。「私」は吾子にせがまれて花火に興じている。残りも線香花火数本になったところで、それに一気に火を点けてみた。火の玉が大きく塊り、閃光はいつもの倍に拡がる。「すごいよお父さん」という声が上がる。火の玉の高さに嬉々として見入る幼子の顔が明るく照らされる。と、その時。火の玉はふっつりと地上に落ち、一瞬、子の顔が闇に紛れたのである。家族の短い夏が、終わろうとしている。

　「ＷＥＰ俳句通信」38号（「谺」平成19年８月号転載）「蛍火」より。　　　　　　　一歩俳句の魅力とは何だろう、と考える。もちろん、それは読み手が自由に感じていい訳だが、あえて二つ挙げるとすると、その「簡明さ」と、対象を捉える目の「優しさ」とでもいうべきものか。句の簡明さは読み手の共感を呼び、優しさは読み手の心の安寧へと繋がる。
　ところで、たびたび「谺」誌上でも書かれていることだが主宰は岩手の人である。掲句は、そのふるさと岩手の風景であろうか。僅かばかりの山畑を耕す老夫婦。すでに作業を終える時間だが一向に止める気配はない。やがて西の空が赤く染まり始めたかと思うと、何と鮮やかな画像の中に、二人「もろともに」取り込まれてしまったのだ。
　一枚の名画を鑑賞するかのように厳粛な面持ちでそこに立ち尽くす作者。しかし、その目は敬愛の念に溢れている。そして、いつしか読み手である自分も同じ情景の中に佇む。
　改めて思うのだが、作者と同じ視点に立てる俳句は、実に心地良い。

　「ＷＥＰ俳句通信」38号（「谺」平成19年８月号転載）より。
　人間、ほどほどの星霜を重ねてくると、心の奥底に潜んでいた幼い日の思い出や感動といったものが、あるとき忽然と湧き上がって来ることがある。それは潜んでいた年月が長ければ長いほど、現在置かれている境遇との隔たりがあればあるほど、大きな感慨を含んで現れるようだ。
　掲句。とっぷりと日は暮れ、作者は家路を急いでいるが、山間に僅かに広がった田圃の際に、ふと一つの蛍火を認めるのだ。思わず立ち止まってそれを目で追うと、その先にもう一つ、そしてもう一つ……。
　直接的な感動は、言葉としては語られない。しかし俳句の常として、そうであればあるほど、読み手の感動は大きいものになる。私にとってそれは、幼い日の、漠然とした闇への畏怖の念と、仄かな蛍火の記憶に繋がってゆく。あれから数十年の歳月を重ね、ここに詠まれたような情景から遠ざかれば遠ざかるほど、この句に触発されて甦る記憶は、郷愁の念や父母への思いとともに切なく現れるのである。この句から、そんな感慨に辿り着くのは私だけだろうか。

　句集「一葉」より。
　先月に続いて主宰の二十代終盤頃の作品。
　一歩俳句が本格的に世に出たのは、角川俳句賞受賞のときかと思うが、同賞の発表号である「俳句」平成八年六月号に選者の座談会の模様が掲載されており、その標題には「詩情あふれる有望新人の登場」とある。もちろん受賞者である一歩主宰を指してのことだが、掲句は（もちろん句集の他の作品を含めて）、それを遡ること十数年も前の作品であるにもかかわらず、すでに瑞々しい感性と詩情性を湛えている。
　ところで掲句は、「一葉」から現在までの一歩俳句の中でも、やや異質な部類に入る作品と言えるのではないか。薔薇が花びらを落した瞬間、作者はそれが発した微かな音を感じ取るのであるが、「金属音」との表現には、若さゆえとでも言うべき硬質的・鋭角的な感性を垣間見ることができる。その点において、現在に至る多くの一歩俳句とはまた一味違った、異彩を放つ世界を感じるのである。

　句集「一葉」より。
　多くの場合俳句には、その作品が生まれ出た時代背景がある。
　掲句。一歩主宰が俳句の道を順調に歩み始めたころの、おそらく自身の人生の上でも最も貴重な時期の、最も貴重な作品のひとつではないか。なぜか。
　今、作者の目の前には幼子とその母が、微かな寝息を立てて眠っている。外は春の雨だ。昼間から子を挟んで一緒に横になっている作者も、春の雨の、そして母と子の乳の匂いのあまりの心地よさに、思わず同じ眠りに引き込まれそうになるのだ。
　人は誰でも幸せでありたい。しかし、その瞬間が今であることを、多くは実感しないものかもしれない。だがこの作品の中にいる作者は、紛れもなくその真ん中に存在し、かけがえのないこの句を得たのである。
　俳句は、その瞬間を切り取る、という意味で一枚の写真のようなものだ。だが、やがて色褪せていくであろう写真と俳句は違う。この句に詠まれた家族の瞬間は、決して褪せることはない。