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小林康治『虚実』の世界U……山本一歩 |
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死の夢もほのぼのとして明易し |
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松蝉の鳴きそめて魂しづもれり |
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着馴れたる白地ぬぎ捨てみな遠し |
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梅雨深ししんじつ深し生き難し |
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毛衣にかくまで妻を老いしめき |
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望郷や寒の疎林をいでしより |
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炭の尉淋しき顔は見せじとす |
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滝氷り一縷の水をゆるしをり |
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湯婆に足を揃へて死を思ふ |
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晩節や胸の枯野は人に言はず |
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執念の旅もなかばや残る蟲 |
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死ぬ年の来る輪飾を吊りにけり |
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枯れむため鶏頭はなほ火を蔵す |
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かく深き妙法の空鳥渡る |
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蝿叩握りて生きてゐたりしか |
ここに以前触れた数句を再掲しなければならない。「生きたしと思ふ鵙鳴きすぎるたび」「見えて来し死の罠時雨音立てて」「よみがへる天恵の雪降りにけり」。そう、悪性腫瘍のために右腎摘出手術を受けたときの一連の作品である。これらの句、命にかかわる大病の後だからこそ、掲句のような思いに至ったのである。 |
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雨癖の雨を誘ひて祭笛 |
降ったり止んだり、それもどっちつかずといった天気だ。祭を迎える側としては晴れるならすっきりと晴れてほしいし、降るなら諦めがつくように潔く降ってほしい。もちろん晴れるに越したことはないのだ。そんな気持ちをよそに、ついに本気で降り出した。がっかりだが、祭笛に誘い出されたような雨では、ぶつぶつ言っても仕方がないといったところか。このリズムと、作者の微妙な心理状態のおもしろさ。 |
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踊りの灯いまだ踊りの手が乗らず |
盆踊り、それもまだ早い時間だ。ひょっとしたら西の空にはまだ明るさが残っているのかもしれない。まだ集まり具合が悪く、踊りの輪も大きくなるほどではない。それでも踊り唄を流し懸命に太鼓を叩く。それで人を呼ぶのである。もちろん踊る手もギクシャクしてもう一つ盛り上がりに欠けているのである。 |
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盆燈籠うしろ姿を淋しくす |
ぼんやりと点る盆燈籠である。その明りを前にしても顔の輪郭などはっきりするような明るさはない。まして後姿のこと、いくら楽しく時間を過ごしたにしても、別れるその姿はどことなく哀愁めいたものを感じさせるのである。 |
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身に入むや齢もつとも身に添ひて |
「齢」が「身に添ふ」、さて喜んでいいのか悲しんでいいのか。また、どんなときにそう感じるのか。その時にならなければわかりようがないことかもしれない。 |
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波郷死にき霜の日なりき寒かりき |
波郷が亡くなったのは昭和四十四年十一月二十一日朝。村山古郷著「石田波郷伝」に、この日の康治について「横浜にいた小林康治は、この日鈴木只夫を伴い、鈴木只夫の句集『日矢』のことでお願いかたがた波郷を見舞う予定にしていた。」とある。 |
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枯菊を刈り人生を急げるや |
前回に「身に入むや齢もつとも身に添ひて」という句に触れた。自分の晩年を意識してのものだが、悪性腫瘍を取り除いたあとの康治にはそれは切羽詰った問題だったのだ。身の回りの整理整頓、庭の手入、今のうちにやらなければならないこと、それをあれこれ考えているのである。そして、直面する「死」は康治晩年の最大のテーマとなったのである。 |
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初硯珠玉の水をしたたらす |
「珠玉」、広辞苑によれば、「海に産する珠と山に産する玉。真珠と玉。玉珠。」という。 |
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朝桜夕桜いつ死なめやも |
俳句はその瞬間を詠うもの、だが、この句はいささか時間的に長いように思われよう。朝の桜、夕方の桜と登場するからなのだが、実際の作者はもちろん夕方の桜の前に立っている。 |
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花浴びて老いにさからふことをせず |
前句のような意志はここにはない。落花を浴びる幸せ、今を生きていることの喜びを素直に詠っている。人生、いくらどうあがいてみても命には限りがある。それに逆らってもどうにもならぬことなのである。素直に老を肯うべし、ということだ。 |
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もの狂ひめく矢車の疾風かな |
疾風にさらされた矢車は物狂いめく早さで廻っているという。一句の内容はそれだけだ。そして俳句はそれで十分なのである。 |
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いさぎよき晩節実梅落ちつぎて |
「晩節」は晩年、老後と同義。 |
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遮莫と扇を使ひけり |
「遮莫(さもあらばあれ)」、広辞苑によれば「(「然も有らば有れ」の意。晋代以来の俗語「遮莫」(「たとえ…でも」の意)を訓読したもの) 不本意であるが、そのとおりにして置こう。とまれかくまれ。どうあろうとも。ままよ。」とある。 |
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余生短しこの片陰を出でずむば |
素直な人生の表出である。 |
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鶏頭に含羞の紅さしそめぬ |
そう言えば鶏頭という花の咲き初めの頃を知らない。気が付けばいつも赤黒く逞しく、近寄りがたいような存在感を示している。といいながら触ってみると、いよいよ強い力で押し返されるような感じを受ける。 |
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曼珠沙華華やぎ咲きし淋しさは |
「曼珠沙華」、別名彼岸花、死人花、捨子花、幽霊花。こう書き記すだけでこの句の鑑賞は終わりでよいのではないかと思う。 |